大阪の蔵屋敷跡まち歩き
NHK大河ドラマ「西郷どん」の舞台を歩く
目次
2018-7-14 大阪市西区・北区・福島区 大阪あそ歩
地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。
参加コース行程
「発」地下鉄肥後橋駅~①加島屋本家跡(大同生命)~②五代友厚精藍所西朝陽館跡・明治天皇聖躅(せいちょく)の碑、大村藩蔵屋敷跡~③雙松岡塾跡~④福沢諭吉生誕地・中津藩蔵屋敷跡~⑤長州藩蔵屋敷跡~⑥薩摩藩蔵屋敷跡~⑦商家「薩万(さつまん)」跡・海援隊大阪支部~⑧大村益次郎寓地跡~⑨大阪教会~「着」一時解散:地下鉄肥後橋駅(昼食)=谷町4丁目~大阪歴史博物館(講演)
今回歩いた大阪市の現在地図と明治時代の地図比較です

今は江戸堀川は埋め立てられてありません。
今回のまち歩き概略です。
西郷隆盛ゆかりの京・大阪を歩きます。まち歩きの後は大阪歴史博物館で西郷関連の講演会に参加します
大阪あそ歩HPより
「西郷どん」に関連した大阪にあった蔵屋敷跡を巡りました。
その後大阪歴史博物館へ移動して、西郷関連の講演を聴き少し幕末の歴史を知ることが出来ました。
「発」地下鉄肥後橋駅①加島屋本家跡(大同生命)
NHK朝ドラ「あさが来た」のモデルになった加島屋本家跡です。その後幕末の動乱を経て大同生命へと続きます。
②五代友厚精藍所西朝陽館跡
この場所には「五代友厚精藍所西朝陽館跡」「明治天皇聖躅(せいちょく)の碑」「大村藩蔵屋敷跡」の3つの碑が建てられています。
この場所に五代友厚が精藍所を建てました。それを見学に明治天皇が訪れたそうなので明治天皇聖躅碑が建てられています。
ここには江戸時代、大村藩蔵屋敷があったので大村藩蔵屋敷跡の碑も建てられています。
③雙松岡(そうしょうこう)塾跡
以前この場所には旧大阪大学付属病院があったそうです。
今は大阪地検のビルが建っています。
この辺りには大阪大学関係の施設が多くあった様ですが、みんな移転した様です。
④福沢諭吉生誕地・中津藩蔵屋敷跡
福沢諭吉はこの地にあった中津藩蔵屋敷で生まれました。
碑の後ろにはABC朝日放送のビルがそびえています。
次の場所へ移動中の景色です。
⑤長州藩蔵屋敷跡
長州藩蔵屋敷はとても広い敷地だったそうです。
次の目的地、薩摩藩蔵屋敷跡もここからそんなに遠くありません。
仲の悪かった薩摩藩と長州藩の蔵屋敷があんがい近い場所にあったのですね。
その後手を結ぶのですから歴史は面白いです。
⑥薩摩藩蔵屋敷跡
薩摩藩は大阪に3つの蔵屋敷を持っていたそうです。
その中で一番大きいのがこの場所にありました。上屋敷ですね。
でも最後は焼き払ってしまったのですね。
⑦商家「薩万(さつまん)」跡(推定地)

上の写真のコンビニあたりに「薩摩屋万吉」通称「薩万」の幕末の商家があったようです(推定)。
「薩万」が海援隊大阪支部です。—2018-7-14産経新聞に掲載された記事参考にしています。
現在は何も残っていません。
この写真を写している場所には「宮武外骨」の説明板があります。
海援隊大阪支部についても、はっきりとした証拠を示すものがあれば碑も建てられるかもしれません。
⑧大村益次郎寓地跡
⑨大阪教会
大阪教会で広岡浅子も洗礼を受けました。
地下鉄肥後橋駅へ向かう途中に梅花女学校発祥の地の碑もありました。

「着」地下鉄肥後橋駅
今回のまち歩きはここで解散ですが、午後から大阪歴史博物館で西郷関連の講演を聴くために昼食をとりました。
希望者は大阪歴史博物館へと向かいました。
この日は天気は良かったのですが、連日の猛暑。熱中症に気をつけながらのまち歩きでした。
大阪に蔵屋敷があることは知っていましたが、実際に訪れたことはありません。
最初に訪れた五代友厚精藍所西朝陽館跡は、NTT堂島ビルがあるところです。
実は東京で働いていた時(何十年も前)、出張でこの場所の隣にあった別のNTTのビルへ何度も訪れたことがあるのです。しかしその当時はビルの付近を見て回ったことありませんでした。
この様な碑があることには気が付きませんでした。
大阪の御堂筋より西側にはあまり出かけたことがありません。
今回は歴史の勉強を兼ねてまち歩きが出来たので有意義でした。
ガイドの結城先生、暑い中ありがとうございました。