旧街道・城下町の伏見まち歩き
~鳥羽伏見の戦い150周年~
2018-10-28 京都市・伏見区 大阪あそ歩
地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。
参加コース行程
「発」京阪丹波橋駅~①伝近藤勇狙撃の地~②丹波橋~③尾張徳川藩邸跡~④薩摩藩邸跡(坂本龍馬潜伏の地)~⑤松林院(寺田屋登勢墓所)~⑥大黒寺(有馬新七ら薩摩藩士の墓)~⑦坂本龍馬潜伏の材木小屋跡の碑~⑧角倉了以翁水利紀行功碑~⑨長州藩邸跡~⑩京橋~⑪寺田屋跡~⑫黄桜カッパカントリー~⑬土佐藩邸跡~⑭東本願寺伏見別院(鳥羽伏見の戦會津藩本陣跡)~⑮伏見銀座跡~⑯和菓子店・駿河屋~⑰魚三楼(鳥羽伏見の戦い時の弾痕跡)~⑱松平筑前公園~⑲豊臣秀吉築城伏見指月城跡~⑳伏見奉行所跡~㉑常盤御前捕縛の地~「着」ゴール解散最寄駅・京阪伏見桃山駅
今回歩いた伏見の現在と明治時代の地図比較


明治の終わりころには巨椋池はだいぶ埋め立てられています。
鳥羽・伏見の戦いの地でもあります

今回のまち歩きの概要
伏見城を中心に政治が動いた時期「伏見桃山時代」は、徳川家康が幕府を開いても、なお伏見は重要な城であり城下町だった。
皮肉にも鳥羽伏見の戦いでこの地が戦場になり、徳川政権が衰退することになった。各所で名水が湧き、酒造業がたくさん集まる場所でも有名。
魅力のある伏見を歩く。
伏見の名所「寺田屋」。幕末期の寺田屋は鳥羽伏見の戦いで全焼。新たに建てられた寺田屋はかつての場所と違う場所に建てられた。旧寺田屋と現寺田屋のこれまでの経緯をご紹介。
大阪あそ歩HPより
近年発掘された豊臣秀吉築城の伏見指月城跡もご案内。
「発」京阪丹波橋駅

まち歩きにはいい気候の10月末。天気にも恵まれました。
京阪丹波駅で降りるのは初めてです。
伏見のまち歩きは今回で3度目。
歩くコースが毎回違うので新しい気持ちで今回も参加しました。
①伝近藤勇狙撃の地

近藤勇がこの辺りに待ち伏せしていた御陵衛士の残党に狙撃され重傷を負った場所です。
月桂冠のHPにも関連説明があります。
二条城から伏見奉行所(新撰組駐屯地)に帰る途中のことだったそうです。
この辺りには大名の名のついた町名が多いです。
井伊直孝の屋敷がこの付近にあったようです。
秀吉が全国の大名をこの辺り一帯(伏見城下)に住まわせたそうです。
今も町名に大名の名前がついているところが多いです。
こちらに伏見城下の詳しい地図が載っています。pdfとして書き出すと便利です。

②丹波橋

駅名にもなっている丹波橋はこの橋です。
③尾張徳川藩邸跡
伏見中学校などがある場所一帯には、幕末期尾張徳川家の藩邸がありました。
とても広い敷地でした。
江戸時代伏見は天領でした。重要な場所だったので多くの藩邸が置かれていました。
④薩摩藩邸跡(坂本龍馬潜伏の地)
寺田屋で襲われた坂本龍馬は薩摩藩邸に匿われました。
この藩邸には篤姫も宿泊したことがあるそうです。
⑤松林院(寺田屋登勢墓所)

薩摩藩の定宿だった寺田屋の女将お登勢のの墓所があります。
⑥大黒寺(有馬新七ら薩摩藩士の墓)
大黒寺は薩摩藩と結びつきが深いお寺です。
薩摩藩家老平田靱負(ゆきえ):木曽川治水工事の責任をとり、詰め腹を切った。
ウィキペディアより
薩摩9烈士:文久2年(1862年)、寺田屋事件で犠牲となった薩摩藩勤王党有馬新七等九墓。墓石の横にある碑文は、西郷隆盛筆。
天明の伏見義民の遺髪塔(文殊九助ら7名)。
こちらのサイトも参考になるかと思います。
⑦坂本龍馬潜伏の材木小屋跡の碑
坂本龍馬が寺田屋で襲われ、逃げる途中身を潜めていた材木小屋跡の碑です。
その後薩摩屋敷に逃げて匿われました。
実際隠れていた材木小屋は、碑がある場所ではありません。
⑧角倉了以翁水利紀行功碑
角倉了以翁水利紀行功碑は、高瀬川を開いた角倉了以の功績を顕彰する為に運漕業者有志が建立したそうです。

寺田屋事件で怪我をした龍馬は、お龍と一緒に薩摩藩領内で療養。今でいう新婚旅行だった。
「坂本龍馬とお龍、愛の旅路」像が2011年9月に建立されました。
⑨長州伏見藩邸跡
伏見土木事務所の場所に長州伏見藩邸がありました。
豊臣期には毛利家の屋敷は別のところにありました。
江戸時代現在の場所に移転。
幕末禁門の変の後、幕府の連合軍に攻撃されて焼失してしまいました。
⑩京橋
京橋と呼ばれる橋は全国に多くあります。
この橋もそうなのかな?
京へ上る最初の橋にその名が付いたとされています。
この付近、伏見口の戦いの激戦地でした。
⑪寺田屋跡
坂本龍馬が襲われた場所として有名な船宿寺田屋です。
薩摩藩の定宿でした。
当時の建物は鳥羽伏見の戦いの時消失。
今の建物は明治に建てられたものです。元あった場所ではなく隣に建てられた様です。
現在龍馬の銅像や顕彰碑などが立ってる場所に本来の建物があったようです。
古いことは曖昧になつて来ます。今の姿が昔から続いている様に思いがちです。
現在の建物や場所が龍馬が襲われた時と同じ寺田屋だと思っている人が多いのです。
最近いろいろ研究が進んできて、正確な事実が明らかになりつつある様です。
⑫黄桜カッパカントリー
こちらで一休みしました。いい天気なので大勢の人で賑わっていました。
伏見には多くの酒造会社があります。
水もいいし、酒造りには適した土地だったのと、水運など交通の便よかったので一層発展しました。
⑬土佐藩邸跡

目立たない場所にありました。
⑭東本願寺伏見別院(鳥羽伏見の戦会津藩本陣跡)

鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩からの大砲の攻撃で大きな被害を受けたそうです。
⑮伏見銀座跡
碑はアーケード商店街(大手筋)にあります。
徳川家康により初めて銀座が置かれた地です。
その後銀座は京都に移転。江戸、大阪にも銀座が置かれた。
⑯和菓子店・駿河屋

ブラタモリでも紹介された和菓子屋です。タモリさんも羊羹作りに挑戦していました。
秀吉に出した羊羹が大人気。当時は蒸し羊羹。今は練り羊羹。
室町時代から続く老舗の和菓子屋さんです。
⑰魚三楼(鳥羽伏見の戦い時の弾痕跡)

鳥羽・伏見の戦いの時の弾痕跡が残っています。
この辺りは焼け野原になりましたが、この建物だけは奇跡的に残ったということです。
⑱松平筑前公園

この地に前田利家の屋敷があったそうです。
この辺りの町名は桃山町松平筑前です。松平筑前とは前田利家の四男利常のことです。
⑲豊臣秀吉築城伏見指月城跡
ブラタモリでも紹介された伏見指月城跡です。
幻の城と言われてましたが、最近の発掘により現実性が出て来ました。
秀吉が伏見に最初に築いたお城が伏見指月城です。その後地震で倒壊しました。
その後現在明治天皇陵になっている場所に伏見城を建てた。
発掘資料1です。
発掘資料2です。
⑳伏見奉行所跡
鳥羽・伏見の戦いでは新撰組が宿陣とした。
とても広い敷地だったそうです。
薩摩軍の攻撃で全焼しました。
㉑常盤御前捕縛の地

常盤御前がこんな場所に関わりがあったとは知りませんでした。
平治の乱の後、大和に落ち延びようとしてこの辺りで捕らえられたということです。
「着」ゴール解散最寄駅・京阪伏見桃山駅
帰りは京阪伏見桃山駅が最寄駅です。
今回の伏見のまち歩きは、新しいコースもあってますます伏見が身近に感じられる様になりました。
歩くコースは結構あるのですが、興味ある場所が多く疲れも忘れます。
秀吉が伏見を気に入った気持ちが少しわかる様な・・・
ガイドの長谷さん、ありがとうございました。