四天王寺 大阪の裸祭り”どやどや”
目次
2019-1-14 大阪市天王寺区 大阪あそ歩
地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。
参加コース行程
「発」地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ケ丘・南東改札口前~①四天王寺西門石鳥居~②極楽門~③亀の池と石舞台・六時礼讃堂「どやどや」~④亀井堂・・・現地解散~◎ 解散最寄駅・天王寺駅
今回のまち歩き概略
四天王寺のお堂で1年の最初に営まれる法要「修正会」(1日~14日)、その結願の日に奇祭「どやどや」(大阪唯一の裸祭り)が行われます。去った年の反省と新たな年の決意をこめて、若者の裸身から立ち上る湯気に見とれてみましょう。
大阪あそ歩HPより
四天王寺とは
四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。
山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。
『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。
また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。
宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。
日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。ウィキペディアより
どやどやとは
四天王寺では、新年の吉祥(主に天下泰平・五穀豊穣)を祈る修正会が、毎年元旦から始められ、14日の結願日には「どやどや」と呼ばれる行事が執り行われます。
じゃらんHPより
寒風の中、ふんどし姿の若者たちが六時堂前で経を唱え、上からまかれる魔除けの護符を取り合います。
この祭は、岩手県の蘇民祭、岡山県の西大寺会陽と並ぶ日本三大裸祭の一つに数えられます。
修正とは「過ちを改め、正しきを修める」の意で、元々はその年の天下泰平・五穀豊穣を祈る法要。
四天王寺HPより
参拝者にとっては、去った年の反省と新たな年の決意をし、希望に満ちた一年の門出のためのお参りであり、これが一般的に「初詣」と呼ばれ広く知られる。
毎年1月1日~14日には六時堂にて新春特別祈祷が厳修されており、結願となる1月14日には日本三大奇祭のひとつ「どやどや」が行われる。
「発」地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ケ丘~①四天王寺西門石鳥居
「発」集合場所
地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ケ丘に集合し、南東改札口前から四天王寺西門石鳥居へ向かいます。
①四天王寺西門石鳥居
石鳥居は重要文化財です。石鳥居は西を向いています。
昔は海がすぐそこまできていました。西方浄土信仰では日の沈む西の方に極楽があると信じられていました。
昔は海が迫っていて西の海に太陽が沈む姿を見ることができました。ありがたい場所です。上の画像の石鳥居説明板を呼んでください。
②極楽門
極楽門は昭和37年に松下幸之助氏によって再建されました。
極楽門を抜けると四天王寺の中心伽藍が現れます。四天王方式という配置になっています。
③亀の池と石舞台・六時礼讃堂「どやどや」
亀の池と石舞台
石舞台は重要文化財です。四天王寺の石舞台は日本三舞台(住吉大社石舞台、厳島神社平舞台、四天王寺の石舞台)の一つです。
亀の池には事実多くの亀がいます。この亀についても、いろいろいわれがあるそうです。
六時礼讃堂
六時礼讃堂は重要文化財です。昼夜6回の諸礼讃が行われます。
六時礼讃堂で「どやどや」が行われます。
六時礼讃堂「どやどや」
午後2:20〜 幼稚園児・保育園児
午後3:00〜 清風高等学校・清風南海高等学校生徒約600名参加自由
見学場所があまりなく、どやどやの様子よくわかりませんでした。上の画像は望遠で撮影。
④亀井堂
亀井は写真撮影禁止でした。ここもいろいろいわれがあるそうです。
この場所で解散というわけですが、多くの方が天王寺駅まで歩きました。
その後希望者は新年会に参加。
私も参加しました。知らない人と色々話せて楽しかったです。
大阪の裸祭り”どやどや”は、今回初めて知りました。裸祭り、初めて見ました。
なかなか迫力あるのですが、見る場所が限られていて混雑するので遠くから見たので、本当は間近で見たかったです。
四天王寺、奥が深いです。