奈良・東大寺と奈良町めぐりに参加

おおさか東線直通記念。素敵な庭園にも感激!

2019-5-4 奈良市 大阪あそ歩

地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。

参加コース行程

「発」JR大和路線奈良駅→①奈良奉行・川路聖謨の植桜楓之碑②東大寺大仏殿③依水園・寧楽美術館④興福寺⑤ならまち⑥元興寺「着」ゴール解散・JR大和路線奈良駅

今回のまち歩き概略

おおさか東線直通記念。新緑の美しい奈良のまちを、鹿に追いかけられながら、歩きましょう。

東大寺の大仏参拝、依水園、元興寺、ならまちを巡ります。

大阪あそ歩HPより

「発」JR大和路線奈良駅→

今回のまち歩きは奈良市。実は奈良市はよく訪れるのです。今年も何度か行きました。

唯大仏殿へはずいぶん入ったことがないのと、ならまちも歩いてみたかったので参加しました。

JR奈良駅前にある観光案内所。実は旧奈良駅駅舎なんです。

この建物とても奈良らしくていいのですが、取り壊す話があり反対運動の結果残ったらしいです。

でも今はなくてはならない建物です。

奈良へ行く時、昔は近鉄が一般的に使われてきました。

私はむかーし国鉄時代の奈良駅を一度使った様な記憶があります。でも駅や周辺の記憶はまったくありません。

ところがいつ頃からか分かりませんが、JR奈良駅や駅周辺も整備されて私はいつもJRを利用しています。

JR奈良駅から猿沢池へ続く三条通りは整備が進み、お店も多く観光客で賑わっていました。

この通りは平城京ができた時の三条通りで今も変わっていないそうです。

①奈良奉行・川路聖謨(かわじとしあきら)の植桜楓之碑(しょくおうふうのひ)→

猿沢池から春日大社へ行く道の途中、興福寺へ曲がる場所(下からは広い階段があります)に古びた顕彰碑があります。

しかし多くの人は通り過ぎてしまいます。

でもこの植桜楓之碑の文を書いた川路聖謨(かわじとしあきら)という人は、奈良にとっては恩人なのです。


江戸時代奈良は天領でした。なので奈良奉行所が置かれていました。今の奈良女子大学がある場所です。

川路聖謨はその奈良奉行だった人です。

奈良奉行時代には行方不明となっていた神武天皇陵の捜索を行い、『神武御陵考』を著して朝廷に報告している。後に孝明天皇がこれを元に神武天皇陵の所在地を確定させたと言われる。また、民政にも尽くした。乱伐によりはげ山になっていた多聞山城跡に約50万本を植樹し、佐保川には今日「川路桜」と呼ばれる桜の樹を植えた。博打を厳しく取り締まるとともに貧民救済に取り組んだ。このため「五泣百笑(博徒や悪徳僧侶・役人・商人、裁判の短期化で泊まり客が減った公事宿の五つが泣き、百姓が笑う)の奉行」と慕われた。奈良奉行時代の日記『寧府紀事』が宮内庁図書寮文庫に残る。

ウィキペディアより

こちらも川路聖謨の植桜楓之碑の説明です。

こちらは子供向けの説明です。

川路聖謨の植桜楓之碑は古くて痛みが激しい様に思います。

それもそのはず、この碑は1850年(嘉永3)3月に建てられました。

今では少し下の方が欠けている様です。長く保存してもらいたいですね。

こちらも見てください

奈良奉行・川路聖謨の植桜楓之碑のことを少しでも知る人が増えるといいですね。

②東大寺大仏殿

大仏殿の動画を作成しました

大仏殿の内部は今回参加作成した動画をご覧ください。

東大寺南大門

東大寺の今の南大門は鎌倉時代に建てられたものだそうです。

柱の太さがとても太いことに注目。

また仁王さん(金剛力士立像)の作者は

阿形像:運慶、快慶(伝)
吽形像:定覚、湛慶(伝)

とされています。

ちなみに南大門とは関係ないのですが、春日大社は藤原氏の氏神を祀るための神社でした。なので藤の花が有名です。ちょうど藤が綺麗な時期でした。

東大寺南大門・大仏殿側から見たところ

東大寺大仏殿

よく奈良公園を訪れますが、大仏殿には入らずいつも中門からのぞいていました。なぜか?混んでるし拝観料もいるしね!

今回はまち歩き参加で中に入りました。本当に何十年ぶり?かな?

大仏殿や大仏は何度も火災などで焼けています。現在の大仏殿と大仏は江戸時代に再建されました。

今の大仏殿の柱は南大門よりも細いです。

③依水園・寧楽美術館→

依水園は普通の観光では訪れないところです。といっても東大寺のすぐそばにあるのです。

私も去年依水園を知りました。でも入ったことありませんでした。

庭の裏?が東大寺南大門があるのです。見る場所によっては南大門の屋根が見えるし若草山も見ることができます。

訪れた時はツツジが満開でとても綺麗でした。

外国人の観光客が多かったです。寧楽美術館も一緒に見ることが出来ます。

秋の紅葉もまた素敵だと思います。今回のまち歩きに参加した理由の一つに依水園が入っていた事です。

依水園のある通りも趣のある通りです。是非一度訪れてみたはいかがでしょうか。

④興福寺→

今回は興福寺は見て通るだけになりました。

中金堂は去年の秋に再建されました。私もその時見に行きました。

つぎはならまちへ向かいました。

興福寺からならまちへ

⑤ならまち→⑥元興寺→「着」ゴール解散・JR大和路線奈良駅

ならまち

ならまちとは

ならまちは、奈良県奈良市の中心市街地南東部に位置する、歴史的町並みを有する地域。

狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。
なお、奈良町(ならまち)とは、江戸時代中期の『奈良町絵図』に描かれた奈良町の区域を指す現在の地名で、本項目で示す「ならまち」に「きたまち」等を加えたエリアからなる。

奈良市では、「奈良町」と「ならまち」とを使い分けている。

「ならまち」は、「奈良町」のうち国道369号よりも南の区域を指す。
このうち、元興寺の旧境内を中心とする49.3ヘクタールが、奈良市により奈良町都市景観形成地区に指定されている。

ウィキペディアより

ならまち情報サイトもどうぞ

元興寺

元興寺は東大寺や興福寺と並ぶ大きなお寺でした。

その後衰退してその一部を見ることが出来ます。

元々の元興寺の境内が、だいたい今のならまちの範囲です。広くて大きかったのですね。

元興寺と奈良町の関係

こちらのHPがわかりやすいです。

「着」ゴール解散・JR大和路線奈良駅

ならまちからJR奈良駅まで歩き奈良の町を満喫しました。

今回は久々の大仏殿に入り大仏さまを拝みました。そして依水園の静寂さに酔いしれ、ならまちの雰囲気も知ることが出来ました。

ガイドの結城さん、ありがとうございました。

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