新選組の聖地、京都・壬生を歩くまち歩きに参加

土方没後150年記念

2019-5-6 京都市・中京区 大阪あそ歩

地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。

参加コース行程

「発」阪急京都線大宮駅東改札口前⇒①光縁寺新選組墓所②新撰組屯所旧前川邸③新撰組屯所八木邸④壬生寺「着」ゴール解散・本能寺跡⇒「◎」解散最寄駅・阪急京都線烏丸駅

今回のまち歩き概略

「輪違屋糸里」「燃えよ剣」と近年映画やゲームに取り上げられ、ますます人気の新選組。壬生で幕末に思いを馳せましょう。

大阪あそ歩HPより

今回のまち歩きに関係する記事の「京 都 史 蹟 紹 介」HPです。

「発」阪急京都線大宮駅東改札口前⇒①光縁寺新選組墓所⇒

光縁寺と新撰組

新撰組副長 山南敬助の家紋(丸に右離れ三ツ葉立葵)が寺紋と同じであったことから付き合いが始まったといいます。

その後、新撰組の隊士がこのお寺で埋葬されました。

そして皮肉にも山南敬助自身もここに埋葬されることになったのです。

かつての光縁寺新選組墓所はこの線路左端まであったそうです(光縁寺墓所裏手)

明治になって京福電鉄開通で、光縁寺の新撰組墓所も多くの墓所を失いました。

光縁寺新選組墓所関連の記事はこちらもご覧ください。

②新撰組屯所旧前川邸⇒

前川邸については「新撰組屯所旧前川邸公式サイト」HPをご覧ください。

③新撰組屯所八木邸

八木邸とは

八木邸(やぎてい)は京都市中京区壬生にある郷士八木家の邸宅で、幕末に新選組の屯所として使われた。
2018年現在も八木源之丞の子孫が継承している一方、歴史的建築物として一般に公開されている。芹沢鴨が暗殺された際に付いたとされる刀傷など、新選組にかかわる遺構がある。

ウィキペディアより

関連HP

④壬生寺⇒

壬生寺とは

江戸時代後期の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠が壬生村の八木家に置かれた。

当寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市、三鷹市などに存在する)。

ウィキペディアより
壬生塚はこちらの共同墓地から移された

「着」ゴール解散・本能寺跡⇒「◎」解散最寄駅・阪急京都線烏丸駅

最後に新撰組とは直接関係のない場所へ案内されました。

織田信長が殺された本能寺の変は有名です。その時本能寺は焼けてしましました。

では今の本能寺は同じ場所に再建したのでしょうか。

違うのです。現在の本能寺は秀吉によって元々あった場所から移転させられたのです。

本能寺の変で焼けた元の本能寺の跡には碑が出来ていました。

実際の建物があった場所はこの碑が建てられている場所より北側にあった様です。

今回のまち歩きは壬生新撰組の墓所や屯所を巡りました。

新撰組人気ありますね。

最後に実際に本能寺の変で焼けた本能寺跡へも行くことが出来ました。

帰りは阪急の烏丸駅から帰りました。

ガイドの結城さん、ありがとうございました。

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