新しく再建された尼崎城天守閣や城下町巡り
祝 尼崎天守閣造営
目次
2019-5-21 兵庫県尼崎市 大阪あそ歩
地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。
参加コース行程
「発」阪神電鉄本線尼崎駅西改札口前⇒①尼崎城天守閣⇒②櫻井神社⇒③寺町巡り1⇒④尼信会館・世界の貯金箱博物館⇒⑤寺町巡り2⇒「着」ゴール解散・阪神尼崎駅
今回のまち歩き概略
尼崎城の天守閣ができて、ますます魅力が増した城下町の史跡巡りをします。
大阪あそ歩HPより
「発」阪神電鉄本線尼崎駅西改札口前⇒
阪神尼崎駅
尼崎城への途中
①尼崎城天守閣⇒
尼崎城
尼崎城とは
尼崎城(あまがさきじょう)は、兵庫県尼崎市にあった日本の城である。江戸時代初期に築城された平城。
ウィキペディアより
安土桃山時代の天正6年(1578年)に荒木村重が織田信長に反旗を翻した際、有岡城から逃げ込んだ先である大物城は尼崎城(尼崎古城)とも呼ばれるが、現在の尼崎城趾とは位置が異なる。
尼崎城天守閣
再建された天守閣
家電量販店・旧ミドリ電化(現エディオン傘下)創業者の安保詮は、創業の地に恩返しがしたいと考え、10億円以上の私財を投じて天守を再建した上で尼崎市に寄贈したいとして、2015年(平成27年)11月25日付で、市有地の利用などについて市と「尼崎城の建築及び寄附に関する協定」を締結した。大きさや外観は当時の建物を再現するが、近世天守跡地は周辺施設が既に様々にあって問題の発生が予想されるため、これを避け、北西約300メートルずれた地点にある西三の丸跡地、すなわち、尼崎城址公園内に築かれることとなった。
ウイキペディアより
新しく再建された尼崎城天守閣周辺には堀や石垣など昔の遺構は残っていない様です。少し城下町の雰囲気がなく残念です。
尼崎城は明治初めに取り壊され、その後も堀や石垣も姿を消してしまいました。
今回再建された天守閣は元あった場所ではなく三の丸跡に建てられています。
遺構や遺物は少ない様ですが、尼崎城についての多くの資料が残っていて、新しい天守閣内でも展示されていますが、この後訪れた尼信会館で見ることが出来ます。
契沖(けいちゅう)
天守閣の周辺に「契沖」に関する碑がいくつか目にします。尼崎市は「契沖」に力を入れている様です。
契沖とは
契沖(けいちゅう、寛永17年(1640年) – 元禄14年1月25日(1701年3月4日))は、江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者(国学者)。
摂津国川辺郡尼崎(現在の兵庫県尼崎市北城内)で生まれた。『万葉集』の正しい解釈を求める内に、当時主流となっていた定家仮名遣の矛盾に気づき、歴史的に正しい仮名遣いの例を『万葉集』、『日本書紀』、『古事記』、『源氏物語』などの古典から拾い、分類した『和字正濫抄』を著した。
これに準拠した表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えた。1701年 死去。
ウィキペディアより
②櫻井神社⇒
③寺町巡り1⇒
尼崎城築城に際し、それまであったお寺をまとめて寺町を作りました。
現在も整備された寺町が健在しています。
全昌寺
本興寺
④尼信会館・世界の貯金箱博物館⇒
尼崎信用金庫が運営する尼信会館・世界の貯金箱博物館です。
尼信会館・世界の貯金箱博物館についてはこちらをご覧ください。
⑤寺町巡り2⇒
法園寺
大覚寺
大覚寺についてはこちらをご覧ください。
長遠寺
如来院
専念寺
着」ゴール解散・阪神尼崎駅
尼崎へは初めて訪れました。
新しい尼崎城天守閣は寄付で建てられたそうです。絵図などが残っていたので再建できたのでしょうね。
寺町は大きなお寺が多く並んでいて驚きです。
しかも道路もお寺も整備されています。
初めての尼崎市と尼崎城周辺のまち歩き、知らないことだらけで有意義でした。でも暑かったですね。
ガイドの結城先生、ありがとうございました。