奈良県・田原本の寺内町と近代建築探訪

2019-6-1 奈良県田原本町 大阪あそ歩

地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。

参加コース行程

「発」近鉄橿原線田原本駅西改札口⇒①昭和初年建築の医院②寺内町を歩く③天保12年の鍵岡分家④和菓子の名門、雲水堂⑤津島神社⑥大和川水運の記憶を秘める寺川のほとり⑦昭和8年の木造キリスト教会⑧銀行建築が語りかける商都の近代史⑨長顕寺「着」ゴール解散・近鉄橿原線田原本駅

今回のまち歩き概略

大和地方の商都とかつて呼ばれた田原本町で近代化遺産のしずくを見つけ、寺内町の風情を味わいましょう。

大阪あそ歩HPより

田原本町とは

奈良県北西部、磯城(しき)郡の町。

奈良盆地の中央に位置し、北流する大和(やまと)川、寺川、飛鳥(あすか)川、曽我(そが)川の流域に開かれた水田農業地帯である。

中心の田原本は慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に教行寺(きょうぎょう)の寺内町として成立し、寛永(かんえい)年間(1624~1644)以後は平野氏5000石の陣屋町となり、大和川に注ぐ寺川の水運を利用する市場町としても栄えた。

コトバンクHPより

田原本陣屋については👉こちらをどうぞ。

「発」近鉄橿原線田原本駅西改札口⇒

①昭和初年建築の医院⇒

昭和7年に建築の植山医院。後ろに日本家屋の母屋が続いている。水路がまたいいです。

②寺内町を歩く

本誓寺(ほんせいじ)

本誓寺(ほんせいじ)とは

本誓寺は、浄土宗の寺。開基は、鎌倉時代の伝承もあるが不明。江戸時代の田原本領主であった平野氏の菩提寺。田原本二代領主平野長勝は、正保四年(1647)に浄土真宗教行寺を著尾に転座させ、その跡地に円城寺(現在の浄照寺)と本誓寺を建立した。 本堂は度々の火災を受け、現在は昭和58年に再建された鉄筋コンクリート建物である。
本尊は、阿弥陀如来立像で鎌倉時代後期の作。他に、元は楽田寺にあったとされる平安時代中期の十一面観音立像が安置されている。

田原本町HPより

藩主平野氏の菩提寺。

このお寺にはお墓に屋根を乗せている廟(領主平野霊廟)があります。珍しいです。

浄照寺

浄照寺とは

浄照寺は、平野長勝の創建と伝えられ、木造阿弥陀如来立像(江戸時代前期)を本尊としています。また、寺宝として親鸞上人画像一幅があり、大谷本廟に安置されていたものを本願寺から下付されたといわれています。

田原本町HPより

廣川家住宅

寺内町通りには立派な住宅が建っています。浄照寺前の廣川家の建物も立派です。

また道路も普通の道路と違い、個別に整備されて作られたように見えます。

寺内町通り・道路も立派です

③天保12年の鍵岡分家⇒

江戸時代、陣屋で全焼する大火があり、その後総塗込瓦葺の耐火建物が建てられたそうです。左の建物などそうなのかも知れません。

👉こちらを参考にして下さい。

天保12年の鍵岡分家

④和菓子の名門、雲水堂

和菓子の雲水堂は創業400年。藩主平野氏の御用達菓子だったそうです。

⑤津島神社⇒

町中には水路が流れています

⑥大和川水運の記憶を秘める寺川のほとり⇒

⑦昭和8年の木造キリスト教会⇒

⑧銀行建築が語りかける商都の近代史⇒

昭和初期の銀行建築です。奈良中央信用金庫旧本店。旧吉野銀行田原本支店=岩崎平太郎が設計。

⑨長顕寺⇒

駅へ戻る途中にある弁天神社・橋が架けられています

「着」ゴール解散・近鉄橿原線田原本駅

今回の町歩きは奈良県の田原本町でした。

初めて訪れた町です。しかも名前を聞くのは初めてでした。

でも歴史ある町なんですね。昭和の雰囲気がまだまだ残っていて、しかも町中に水路が流れていて雰囲気あります。

昭和の近代建築ばかりではなく、江戸時代の建物も残っていて趣がありました。

陣屋が置かれていたのですが、その面影はあまり感じられませんでしたが、藩主の菩提寺など立派なお寺も健在でした。

奈良時代には下ツ道が、近世には中街道が町中を通っています。

昔から交通の要所でもあったのですね。

ガイドの浅野さん、ありがとうございました。

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