新旧淀川の堤防をたどり、城北公園を経て大宮神社へのまち歩き
〈おおさか東線〉城北・淀川・JRおおさか東線全線開通記念
目次
2019-6-16 大阪市旭区 大阪あそ歩
地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます
参加コース行程
「発」JRおおさか東線城北公園通駅⇒①赤川鉄橋⇒②旧淀川堤防付近の赤川⇒③淀川河川公園⇒④日吉神社⇒⑤城北公園⇒⑥千人塚⇒⑦大阪工業大学⇒⑧江野川筋遊歩道⇒⑨大宮中学校⇒「着」ゴール解散・大宮神社⇒⑩大宮小学校⇒「◎」解散最寄駅・地下鉄谷町線千林大宮駅
今回歩いた旭区の現在地図と明治時代の地図比較です
明治期の低湿地帯の地図
今回のまち歩き概略
明治18年の淀川大水害の後、大橋房太郎氏などの努力により淀川の大改修工事が行われ明治42年に新淀川が完成。
旭区付近では淀川の流れが大きく変わりました。
明治時代の地図を見ながら赤川鉄橋から城北公園、大阪工業大学を経て、大宮神社をめざします。
新旧淀川の堤防をたどり、かつての地形に思いを馳せます。
大阪あそ歩HPより
「発」JRおおさか東線城北公園通駅⇒
赤川鉄橋へ向かう途中の、JRおおさか東線を道路が横切る場所で、昔の大阪万博を迎えるに当たり、当時の雰囲気が伝わってくる場所に出会いました。
①赤川鉄橋⇒
JRおおさか東線が開通するまでは、片側は貨物線、もう片側を歩いて渡れるようになったそうです。
②旧淀川堤防付近の旧赤川村⇒
現在の淀川に改修されて川底に沈んだ赤川村があった付近まで行ってみました。
明治期の低湿地帯地図の②付近参照。
③淀川河川公園⇒
旧赤川村だったところは新しい淀川河川敷の公園になっています。
④日吉神社⇒
赤川廃寺
淀川流域は古くから交通の要所でした。
しかし淀川の洪水で大きな被害も受けました。
そんな洪水を鎮めるためにお寺や神社が建立されました。
赤川廃寺もそんなお寺の一つだったようです。
日吉神社
淀川の堤防のそばに日吉神社が建っています。
元は旧淀川の近くにあったのが淀川の改修工事で現在の場所に移ったようです。
この付近の道路は旧淀川時代の集落の道路の方向が残っている場所がいくつもあります。
⑤城北公園⇒
城北公園は淀川改修工事の結果出来た公園です。
この場所は旧淀川の川の中でした。
⑥千人塚⇒
淀川の土手の上に「千人塚」があります。
この付近は太平洋戦争で空襲に遭い、千人以上の人がが亡くなったそうです。
亡くなった人が多くて名前もわからず、お墓を作る場所もなく、このように塚を建てて供養しています。
ワンド
ワンドとは
ワンド(または、湾処)は、川の本流と繋がっているが、河川構造物などに囲まれて池のようになっている地形のことである。
ワンドは、淀川の改修工事によって生まれたものであり、もともと局地的な用語であった。
ウィキペディアより
城北菖蒲園
城北公園の菖蒲園は有名ですが、訪れた日は閉まっていて入れませんでした。
一週間前に菖蒲まつりが終わったからかもしれません。
⑦大阪工業大学⇒
大阪工業大学がある場所は、旧淀川が流れていました。
淀川改修工事で流れが変わった跡地に学校が建てられました。
大阪工業大学の建物は中之島中央公会堂に似ています。創業者の初代校長が大阪市中央公会堂(中之島)の建設に関わっていたためだそうです。
⑧江野川筋遊歩道⇒
大阪工業大学の前を以前、江野川という川が流れていました。
その川筋が遊歩道になっています。
江野川については👉こちらをご覧ください。
⑨大宮中学校⇒
旧淀川の堤防跡は今でも周辺より少し高くなっています。もちろん今は堤防はありません。
大宮中学校付近でも少し確認できます。
「着」ゴール解散・大宮神社⇒
今回のまち歩きは大宮神社がゴール・解散地です。
希望者のみ旧淀川堤防跡の高低差がよくわかる大宮小学校まで行きました。
⑩大宮小学校⇒「◎」解散最寄駅・地下鉄谷町線千林大宮駅
旧堤防跡については明治期の低湿地帯の地図も参考にして下さい。
淀川旧堤防の高低差を感じながら今回のまち歩きを終えました。
淀川の改修工事で川の中に沈んだ村の事や、現在の地形はどうなっているかなど、ちょっとブラタモリを思い出しながらのまち歩きでした。
千林商店街で懇親会にも参加させていただきました。
ガイドの酒井さん、ありがとうございました。