令和最初のお正月は大阪の七福神巡りへ
大阪の七福神巡りは~三光神社(寿老人)から四天王寺(布袋尊)まで~
2020-1-26 大阪市 大阪あそ歩
地図表示に少し時間がかかる場合があります。
赤色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。
参加コース行程
「発」JR玉造駅~①三光神社(寿老人)~②長久寺(福禄寿)~③法案寺(弁財天)~④大乗坊(毘沙門天)~⑤大国主神社(大国主)~⑥今宮戎(恵比寿)~「着」ゴール解散・四天王寺(布袋尊)~解散最寄駅・地下鉄谷町線:四天王寺前夕陽ヶ丘駅
今回のまち歩き概略
新年を迎えました。この機会に縁起のよい七福神を巡りましょう。
大阪あそ歩HPより
これで今年1年幸せに過ごせるはずです。
歩いて巡ります。距離は約6~7km。
約3時間の予定です。
時間の都合上御朱印はご遠慮ください。
参拝のみとします。
七福神とは
七福神とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。
七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天とされており、それぞれがヒンドゥー教、仏教、道教、神道など様々な背景を持っている。
ウィキペディアより
「発」JR玉造駅から三光神社(寿老人)へ
JR玉造駅~①三光神社~②長久寺までの動画を作成しました
この日は大阪女子マラソンの日でした
令和最初のお正月。おめでたい七福神巡りを「大阪あそ歩」主催で行われることを知り、早速申し込みました。
大阪市内の七福神を巡るのです。今年は天気が今ひとつ。前日まで天気についていい話はありませんでした。
しかし当日はいい天気になりました。気温もそんなに寒くなく、歩くのにちょうどよかったです。
この日のガイドさんは、ガイドを担当した日は必ず晴れるとの噂の人でした。案の定いい天気になりました。さすがです。
この日は大阪女子マラソンの日でした。
JR玉造近くもマラソンコースになっていました。
そのため交差点を横断できません。交差点に地下道があったので助かりました。

地下鉄の駅もある関係で人々地下へ地下へと流れ込みました。
自転車の人も子供も老人も地下へ向かいます。
マラソンコース上を渡るには至難の技です。多くの人は渡れる場所まで遠回りです。でも仕方ありません。
①三光神社の七福神は寿老人
三光神社は真田丸で有名です。
三光神社へは真田丸の時のまち歩きで何度も訪れたのでしたが、七福神の神社とは聞いたような聞かなかったような・・・
寿老人
ウィキペディアより
道教の神で南極星の化身の南極老人。日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもある。

三光神社付近には真田丸に関係が深いものがたくさん。
上の画像の真田幸村像もその一つ。近くには抜け穴もあるのですが・・・
近松門左衛門のお墓
次は②長久寺(福禄寿)へ向かいます。その途中にある近松門左衛門のお墓に立ち寄りました。
こんな場所に近松門左衛門のお墓があったとはね。
②長久寺(福禄寿)
長久寺から③法案寺~④大乗坊までの動画を作成しました
長久寺は福禄寿の神様です。
福禄寿
ウィキペディアより
道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人。寿老人と同一神とされることもある。長寿と福禄をもたらす。
大きなお寺ではありません。建物がコンクリートなのでお寺とは気づかずに通り過ぎる人も多いかも。
大阪は空襲で多くの神社やお寺が焼けました。防火の意味もあり戦後再建にはコンクリートになったところが多い様です。
次は③法案寺(弁財天)に向かいます。
③法案寺(弁財天)
次に訪れた七福神は法案寺の弁財天です。弁財天は唯一女性の神様です。
弁才天(弁財天)
ウィキペディアより
七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となり選ばれた。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い。
法案寺は道頓堀川沿いにあり、繁華街も近いので観光客の姿が多い地域です。
次の④大乗坊(毘沙門天)へ向かうには道頓堀の繁華街を通ります。そして日本橋へと足を運ぶのです。
道頓堀と安井道頓の碑

道頓堀は大阪を代表する場所で全国的にも有名です。道頓堀川ぞいに繁華街が広がります。
その道頓堀を開拓した道頓という人の碑も建てられていました。
日本橋の繁華街へと突入です
外国人観光客に人気の黒門市場も通りました。
日本橋の繁華街に入りました。④大乗坊(毘沙門天)はもうすぐです。
④大乗坊(毘沙門天)
大乗坊から⑤大国主神社~⑥今宮戎神社までの動画を作成しました
大乗坊は日本橋の賑やかな一角にあります。毘沙門天を祀っています。
毘沙門天
ウィキペディアより
元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。福徳増進の神であったが、仏教に取り入れられてから、戦いの神としてしだいに民衆に信仰される。日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。
次の目的地は⑤大国主神社(大国主)です。
⑤大国主神社(大国主)
大阪の大国主神社は木津の大国さんで知られているそうです。
境内に木津勘助像があり、その由来が書かれていました。
大黒天
ウィキペディアより
インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。日本古来の大国主神の習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。また親子関係から恵比寿と並んで描かれることが多い。
あともう少しです。⑥今宮戎(恵比寿)へ向かいます。
⑥今宮戎(恵比寿)
今宮戎神社からゴールの四天王寺布袋堂までの動画を作成しました
商売繁盛で有名な今宮戎神社です。当然恵比寿さんです。
恵比寿
ウィキペディアより
伊邪那岐命・伊邪那美命の間に生まれた子供「蛭子」(ヒルコ)、もしくは大国主神の息子である「事代主神」(コトシロヌシ)などを祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神である。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神となった。唯一日本由来の神である。
1月の9、10、11日は大賑わい。商売の街大阪では特に人気のある恵比寿さんです。
そして最後の七福神は四天王寺の境内にある布袋尊です。
四天王寺へ向かいます
新世界にある通天閣を眺め、あべのハルカスをも望み、一心寺前の坂道を登っていくと、最後の目的地四天王寺が目に入ってきます。
「着」ゴール解散・四天王寺(布袋尊)
最後の七福神は布袋尊です。四天王寺境内に布袋堂があります。
四天王寺の布袋堂とは
俗に、乳のおんばさんのお堂と呼ばれ、子どもさんが健康に育つように、お乳がよく出ますようにとの願いをお持ちの女性がよくおまいりされます。入口には「お乳が出ますよう 」 との願いを書いた絵馬が多く吊り下げられています。布袋さんと乳の出との関係はよく分かりませんが、一説には元来聖徳太子の乳母を祀ったのが始まりで、 布袋の乳の豊かさと乳の出がよくなりますようにとの信仰が結びついたものといわれています。又、大阪七福神の札所にもなっております。
四天王寺HPより
布袋
ウィキペディアより
唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧。その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身ともいわれている。
今回の大阪七福神巡りはここ四天王寺布袋堂で終わりです。
結構歩きました。
天気も良く、寒くもなく巡ることができました。
令和最初のお正月。おめでたい七福神巡りが出来て感激です。
今年も健康であります様に。災害ないといいのですが。
大阪あそ歩のガイドさん、ありがとうございました。
解散後、天王寺で交流会に参加させていただきました。
有意義な1日を過ごすことが出来て、とてもよかったです。